書道上級者編:オリジナル作品の書き方

作品の作り方アイキャッチ

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私が20年以上、この方法で作品書きをしているノウハウの一部です。 かなり偏っている持論ですみません。
先生のお手本から離れ、自分でオリジナル作品を書くにはどのようにすれば良いのでしょう。

目次

前書き

みなさま、こんばんは。

書道歴40年になります なんとう です。
講師歴は20年以上、募集は一切せず、生徒さん繋がりの口コミのみで不思議と続いております。

長年、書道を続けていて特に学生時代、一般社会に出た頃に書道について悩んでいた一つに、

自分は上手ではない

とずっと思っていました。

先生のお手本が無ければ書けない人

という葛藤がずーっとありました。
小学生の頃から入賞経験はたくさんあり、中学の時は、クラス代表になって毎年表彰されていましたし、学校代表で作品が出る事もありました。
でも、ずっと 自分は上手ではない。と思っていました。

なぜなら、全ては先生のおかげだからです。

先生が優秀なだけで、私は違うという感覚がずっとあり、一緒の教場にいた同級生3人がいましたが、よっぽどその子らの方が上だと思っていました。

大人になり社会に出ても70歳の上司からは
「俺は習字なんて習ってないけど、これだけ書ける」と言われ(当時私は18歳)その時も字に対するコンプレックスは拭えませんでした。

守破離

守破離という言葉をご存知でしょうか?

守(しゅ): 最初は、師匠やその書道会の教え、基本の型や技を忠実に守り、確実に身につけることを指します。
基本を徹底的に学び、型を守ること。

破(は): 次に、他の教えについても考え、良いものを取り入れて、心技を発展させることを目指し、その型を破るように自分に合った型を模索することで、応用力を高めること。

離(り): 最終段階。一つの流派から離れて、独自の新しいものを生み出します。
既存の型に囚われず、自在に新たな道を創り出すこと。

と部分との部分が気持ちの中では離れようと思っても
手本が無ければ書けない事への卒業はいつになったらできるのか?

オリジナル作品を生み出す一歩はとても勇気がいることです。

この勇気は先生がいる限り、なかなかできない事でしたが、
私の場合は、たまたま先生の代理として、講師をしなくてはいけなくなったという必要に迫られた環境によって、手本を卒業せざるを得ない環境へと追い詰められたことが今となってはその時が最初の一歩でした。

そしてその時からまた新たな恩師との出逢いがあり、
そこから約20年以上、ずっとお世話になり、ようやく少し光が見えるような感覚になったのは数年前です。
自覚するのが非常に長かったです。

その時から習ってきたことのごく一部を記事にします。

先生は聞かれた事にだけ答えるので、
必ず質問をしなさい、聞いたことをノートに書きなさい、と聞き続け
とにかく先生の作品書きのコツというのを吸収しようと書く姿を見ては、
なぜこうなるのかを質問ばかりをしていました。

形や経験値で字はそれなりに身についてきますが、
自然の感覚だけでこう来たらこう返す、こういう間隔だったら次はこうなる、というのは、その人の持っている「センス」になるので、先生のモノマネにはなりません。

もともと手本も無いところからの出発なので。
それに慣れないと作品書きは手本が無いと書けない人のままです。

習字書道の違いは字の通りです。(故に習字とは言いたくない)

書く枚数の問題?

昔、所属していた某書道会恒例の毎年行われる美術館の作品展の表彰式で
上位に受賞された方のインタビューで、

司会者「何枚位書かれたんですか?」

受賞者「そうですね、200枚は書いたと思います」

これを聞いてどう思いますか?
私は・・・・
ディスリでないのですが、
🙋‍♀️この人、お金持ちだなぁ・・・
と思うだけでした。

全紙一枚(約105cm×135cm)や聯落一枚半(約80cm×136cm)などの用紙は当時でも1反(100枚)で2万円弱するので、200枚ということは4万円も紙代にかけているわけで・・・
墨汁だってそれなりに使うのでこの人は、この1枚を提出するために何万もかけているのねと。

先生への手本代、入賞のお礼代、授賞式への参加のためのセット代、分厚い作品集代、美術館の展示料金、表装代、などなどなど。
でも上位入賞しているわけですし、この方にとっては200枚は書く価値があったので、それは報われて良かったとは思います。

えぇ、書道の作品を出すということは、それなりにかかるのです。
(今じゃ高すぎて考えられないけれど・・)

高校生から一般部に編入するので、
さすがに私は全紙一枚半で20枚書ければ良い方だったかなと。
(時間もお金も根性も無かったので)

でも先生も同じような事をおっしゃってました。
(これは個人的感想なので、反対意見もあるかもしれませんがお許しを)

恩師「そんなね、10枚書こうが100枚書こうが1枚提出することに枚数なんて関係ないよ。それよりもあの人、200枚も書かないと作品出せないの?時間もお金も体力もあるねー」
なんて事を聞いていたから余計にそのままインスパイアされております。

1枚書き上げるのに30分かかるとしたら(文字数で言うと40~60文字位)
かがんで書くのでがやられます。
なので書道家は腰痛の方がいたらそれは職業病です。
故に私も腰は気を付けています。書きすぎるとすぐ痛めてしまいます。

なので20代の頃から私は、枚数は書けば良いとは思っておらず
ここで節約術ではありませんが、いかに枚数を少ない状態で、作品にまで持って行けるかを考えながら書いています。だって、紙って高いんですよ💦

作品書きをするための下書きはノートに鉛筆書き

この方法は、20年以上やっている方法です。

今回は簡単な?文字数も12文字程度で紙の大きさは半切
(約35cm×135cm)

課題
kiji1.jpg✅まず鉛筆で詩文をノートに書き写します

✅専用辞書で1文字1文字の字の崩しを調べます
kiji2.5.jpg
1文字目の坐は、これだけたくさんありますが、なんでも選んで良いわけではありません。
楷書なら唐の四大書家(←詳しくは検索してください💦)等または草書なら孫過庭を選びます。
青線は四大書家ではありませんが💦


新書道字典 をずっと愛用しています。

特に孫過庭の草書の崩しは正統派な書き方と思っています。
誰とは言えませんが、これはちょっと・・・・という字は真似しない方が良い方もいます。(語ると長くなるので割愛)

書き写したノートはこちら

kiji2.jpg

数字は辞書のページです。
長年愛用している辞書のページを記しておくことで、次の作品書きの時に同じ文字が出てきた時にすぐに調べられるため

どこまで崩して良いかを自分なりに考えて、作品書きをする前にざっくり下書きのようなことをします。

今回は、1時間かからない程度でノートは終わらせます。

ある程度ノートにまとめたら半切に書き始めます

書いた初日というのは、文字が頭に入っていないのと凝り固まっている部分があるので、それほど枚数は書きません。

1日に書く枚数は1作品につき3~5枚程度です。何枚書いても同じような形にしかならないからです。
恥ずかしながら、ご覧のように5枚書いた中の3枚の画像ですが、ほとんど同じです。
1日目で書く作業というのは、字を頭に記憶することの方が重要で
書いていくうちに必ず壁というかここが問題という事に気が付くことで終了です。


kiji3.jpg

その間に近代詩も書いて頭の体操みたいなこともします。

286018.jpg

(課題詩文:鋪石の上にぞ垂るる薄青き街樹の柳)

学生部や一般の基本的なお手本を書き続けていると、どうしても自分の作品書きをする時に真面目さが残ってしまうのを変えるためです。

真面目な楷書や手本を書き続けていると違う発想転換が浮かばず、どうしても真面目さに引き戻されるのを、忘れるため?みたいなところがあります。
(感覚の部分があり、表現が伝わりにくくてすみません)

286017.jpg

墨汁が余ったら、半紙課題の近代詩も数枚書きます。

これでこの日は終了です。時間にすると正味2時間弱位です。
早いときは揮毫時間は30分程度の時もあります。

翌日に作品を確認すると

翌日、
改めて見返すと自分が思い描いているのとは違う印象に見えてきます。

そこを修正しながら、いくつか書いていきます。これもだいたい3~5枚程度です。

kiji6.jpg

初日に書いていたのとの違いがわかりますでしょうか?
頭の中で詩文が記憶できたので、それぞれの違いの変化を付けようという意識に変わるんです。

なので、初日に書いた最初の作品はまず提出には程遠いというか、提出したことはありません。
あくまで準備体操的な要素です。

ここからは、時間と体力が続く限り、日を改めて書くことになりますが、
最近は夏バテやら体力やら年齢的なものもあり、1つの課題は20枚書かない程度です。

落款(←押印のこと)を入れることで朱が入り、作品が締まっていくのですが、今回はここまで✋

いつもの作品書きの書き方でした。

最後に・・・

ここまでで書く方法の記事は終了になりますが、こんな感じで毎回作品提出に向けて書いております。

あくまで個人的なやり方なので、参考になる方がいましたら幸いです。

この作品書きを通して、毎回どういう想いで書くかを常に意識しているせいか、書道関係なく、他の人の作品はもちろんのこと、お手紙の文字、年賀状の字などを見ると、その人の人となりを勝手に受け止めるようになっています。

字のうまいヘタという事ではなく、
どういう意識で書かれているかを受け止めているので、字の形ではありません。

もちろん読みやすい字に越した事はありませんが、手書きが薄れている昨今でも気持ちのこもっている字を見ると心が温かくなります。

あと、これは非常に余談な話ですが、
うまいヘタは、関係ないとは言いましたが、
人間関係において、ちょっとこの人苦手だなぁーと思っている人の字って、なぜか
=苦手な字を書いている
というのも往々にして当てはまっていたりします。
いつも後から知ることになるのですが、苦手な方=字も苦手は100㌫共通です。

ヘタというよりも読みにくい、とか、読ませる気が無い字が無いというのが伝わると、あぁ、この人だからこの字なのね。と妙に納得してしまったり。

筆跡心理学を学んだ事はありませんが、
生徒さんの字を見ていても、その子に当てはまる字の書き方をしていたりするのをとても感じるので、変化が見られた時には成長したなぁと思ったり…。

という、私は実用書において早く書くので、正直上手だとは思っていません。
心の中で思う事なので、面と向かって字の事を語ることはしません。

遠い昔、年上のお世話になっている方で
私は字の汚い人とは男女関係なくお付き合いはしません。
と言われた時には、書道を習っていて良かったなと思う出来事もありましたね。
字が上手で損することはありません
(葛藤はあるので、自分との闘いなだけです)

長くなりましたが、最後までご覧いただきました方、こんな記事で申し訳ございません💦こだわりが強くなってしまい、賛否両論あると思いますが、好き勝手に語らせていただきました。
ありがとうございました。

完成形は、鑑賞作品にて・・・

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